海外の留学生から、大阪大学が選ばれる理由
東京や京都とは違う大阪の文化!その文化の発祥から現在の維持に一役買ってきた大阪大学!
商人の街 大阪の素顔や、沿革を、様々な自然科学や社会科学の学問と融合しながら、学生へと伝えていく!
気取らない大阪の街の雰囲気が、そのまま大阪大学のキャンパス内に充満しています。
海外の日本での留学を希望する留学生の皆さん!是非、留学のご計画の中の一つの選択肢として、検討ください。
Osaka University:For Prospective Students (Why OU?)
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大阪大学の2025年 大坂・関西地区万博についての分析
大阪大学Innovators’ Clubによるセミナー「大阪・関西万博から生まれるイノベーション」で経済効果についての言及がありました。
情報源: Innovators’ Talk #31「大阪・関西万博から生まれるイノベーション」
大阪大学のInnovators’ Clubが、主催した大阪・関西万博から生まれるイノベーションセミナー!
大阪・関西地区から、日本全国や世界へむけてのイノベーションを通じて、1兆5000億円ともいわれる経済的効果が!
大阪大学の主催したWEBセミナー「大阪・関西万博から生まれるイノベーション」で検討されました。
大阪・関西万博のネーミングが救国の嵐を呼ぶ!
2025年の万博会場は、大阪駅から10分くらいの上記の人工島です。
でも、今回の万博のネーミングは、大阪・関西万博です。関西という地名には、神戸も京都も分子として、含まれます。
すると、神戸も京都も、主催者としての、集合的意識が潜在的に生じてきます。
この意識で1970年の大阪万博とは、違った、展開となり、関西地区発の日本国の経済再興に向けた、動きに期待がもてそうです。
従来は、大阪は商人の街で、お金のことしか考えていないと、元来、文化都市の京都は、冷めた目でみていたきらいがあります。
確かに、歴史も、文化も、京都に伝統あり、と捉えることも可能です。そのような視点から、世界遺産も関西では、京都に多くの遺産を出しました。
しかし、百舌鳥(もず)・古市古墳群が世界遺産に登録され、大阪固有の京都とは、異なる文化的側面が、世界レベルでも、ようやく認められるようになりました。
大阪は、京都の文化人の大御所であった梅棹忠夫元京都大学名誉教授によって、神殿都市として、昭和50年代から、少しずつ評価されてきました。 京都人も認める文化的要素をもった都市です。
聖徳太子によって、つくられた四天王寺など、大阪市は、歴史的な伝統は、決して京都に負けていないのです。
その後、都構想を巡って、府民の意思が、別れましたが、大阪府民も文化的遺伝子をもつ京都府民と異なるところはないと、いう点では、かねてからいわれていたことです。
今回の、大阪・関西万博で、大阪人も京都人も産業的な情報展示を協力して、関西全体の文化を世界にアピールする絶好の機会です。 2025年万博のテーマとしては、iPS細胞などのメディカル、電子部品・電池分野のほか、スマートシティーが有望な候補です。
2020年11月1日大阪市を4特別区とする大阪都民構想の住民投票で反対多数
賛成多数とされていたいわゆる大阪都民構想の住民投票で再び反対派が勝利!
大阪市を4特別区として構成し、大阪市そのものを廃止するいわゆる大阪都民構想が、住民投票で反対多数で再度、秘訣されました。
この結果は、4分割して、それぞれの区として、自治体を構成することに対して、大阪市民の総意として反対の結論を出したということです。
この投票結果の要因は、表面的には、それぞれの区で、スタートするランニングコストが282億円かかり、そのコストが区民税という形で住民側の負担増になることなどが影響した、といわれています。
しかし、深層的には、別途深く考察する必要があります。その際に、大阪・関西万博が2025年に控えていることを念頭に置く必要があります。
今回の2度の大阪都構想での住民投票で、多数で構想案が否決されました。 この大阪市民の投票結果には、住民として、どのような意思が働いたのでしょうか?
現在の地方自治は、アメリカのホームルーム制度に由来することは、日本国憲法制定の由来から考えてほぼ異論がないです。
日本国憲法 92条の地方自治の内容がいわゆる住民自治と団体自治とからなることも異論がありません。
しかし日本における住民自治という時の、住民の意思を分析する際には、日本固有の地方の歴史事情ぬきに語ることはできないですね!!幕府の制度を内包し、
徳川幕府は、地方の藩組織との調和の中で成立していた!
地方自治体と呼ぶにふさわしい行政単位は、大日本帝国憲法下のヨーロッパの大陸法的な中央集権志向の組織体が日本国にとって、初体験ではなく、徳川の幕藩体制ですでに確立されました。
藩校や通行手形など独立した行政単位にふさわしい実体は、徳川の幕藩体制以前には、存在しなかったからです。
鎌倉時代から戦国時代にかけては、それぞれの地方武士の子息らが、足利学校や禅寺に寮生として学んでおりまして、地方に固有の藩校のような学校は存在しませんでした。
しかも藩校は、幕府の学問所に相当し、通行手形なくして藩を通行できなかったのは、幕府の鎖国制度と相似形をなしています。
いわば藩が、幕府の制度を内包し、幕府は、このような藩との調和の中で成立していたのです。
これに対して、明治憲法下の大陸法的な中央集権志向の地方は、中央にとって部品にすぎなく、換えが効いたのです。 (梅棹忠夫京都大学名誉教授も同氏の全集 11巻 都市と文化開発 P552 9行目で結論的に同旨のことを仰っています。)
今回の2度の大阪都民構想では、大阪市は特別区4区に換えられ、4区が、大坂府の行政単位の下部行政単位として組み込まれる案でした。
いわば、大阪市を特別区4区に換えようという案でした。 これに対しrて、大阪市民は、
「大阪市は府の部品とはちゃうでぇー!そんな換えは、認めんでぇー!」と意思決定したのです。
大阪市には、奈良時代から、聖徳太子によって建立された四天王寺をはじめ、様々な文化を、市として継承してきたのです。 大阪市そのものが文化都市という要素を内包し、京都市や奈良市や他の市とともに関西地区として調和を保って、維持してきたのです。
大阪市民は、潜在意識でそのことを理解していたのです。
2025年の大阪・関西地区万博では、奈良市や京都市をはじめとしたそれぞれの文化都市と関西全体として、調和のある博覧会が期待できそうです。 「ほんま えろー たいしたもんやでぇー!大阪市民はなー」 です。